『中学生〜とってもいい話』

             富士見が丘中学校       小関 啓子

 編集長から、ちょっといい話を書いてほしいという原稿依頼があり、どこかに書こうと思っていた「とってもいい話」をしましょう。

 このところ数年、子どもたちの事と言えばあまりいい話がなくて、新聞を読めばまゆをひそめることばかりで、子どもたちが肩身の狭い思いをしているのでしょう。だから私は、何年か前に宣言をしたのです。『中学生の応援団になる』と。

 ☆お兄さん・お姉さんは とってもすてきな保育士です☆

 家庭科の《保育単元》の学習で近くの保育園に実習に行った中学三年生。初めはおずおずしていた生徒たちですが、そんなことには気づくはずもない子どもたちは新鮮なお兄さん、お姉さんに引っ付き虫のようにへばり付いて、「○○しよう!」と言ってはあっちこっちへ引っ張り回しています。そんなときの生徒の顔はどれも、まるで理科の授業時間には見せたことにない、穏やかで、うれしそうで、ちょっとひがんでしまいそうなほどでした。

 小さい妹や弟をもたない中学生が圧倒的に多いのですから、もっとまごまごして当たり前なのに、まるで「子どもは子ども同士!」とでもいうような自然な姿に、見ている大人の方が圧倒される思いでした。

 「一番若いわたしですが、あの中学生のエネルギーにはびっくりです。」と感嘆してくれたのは高井戸西保育園の先生でした。

 毎日の生活が何かと忙しい中学生です。こうして地域に出て、大人や子どもたちと様々に触れ合うことで、彼らの本当の姿が見えて来て、彼ら自身も隠れている自分を発見するのかもしれません。

 ☆中学生の感性に脱帽!

 『戦争当時の風景など、今まで見たことのある写真や映像は白黒だったから、今の時代とかけ離れた所でどうしても現実にあったことだと思いにくかったけれど、戦死してしまった人たちの絵を見て、初めて色のある風景や人物を見たので、頭の中で白黒写真とその色を合わせて実際にあった情景を浮かべてみたりした。また、すべての兵隊さんがお国のためにと強い決心をして立ち向かっていったことが手紙に書いてあって、戦争はいったい何のためにあったのだろうと思った。』

 『(前略)館内に入った瞬間、まわりの落ち着いたなごやかな風景とは異なって、今まで味わったことのない異様な雰囲気がありました。ただただこの残り少ない時間で思いっきり心で描いた絵ばかりで、とても強く心を打たれました。「生きる」を前提に当たり前に「生」と接している今の自分が情けなくなり、悲しくなりました。彼らの死を無駄にせずに生きていきたい。』

 後の感想文を書いた女生徒は、出口近くの作品の前でじっと立って涙を流していたのです。

 杉並の中学二年生は冬に菅平学園にスキー教室に行きます。いつもは四日目はただ帰るだけの日なのですが、学年PTAのお母さん方の後押しもあって、せっかく近くに出来たのだから『無言館』に寄ろうという事になりました。どれほどの中学生に分かってもらえるかあまり自信がありませんでしたが、団体での鑑賞は受け付けないと言うのを直談判に行って、入れてもらうことにしたのです。中に入っての感想は、多くが上のようなもので、信じていなかったこちらが恥ずかしかったほどでした。

 本物に出会ったときにやわらかな感性が揺り動かされるという姿は、中学生と接しているとしばしば出会うことです。たくさんの機会に巡り会ってほしいものです。

 思春期の中にいる子どもたちは、「生きる」事と真剣に向き合いたいと思っているのです。その意味を探し続けている彼らの目に映る大人の姿に、彼らは幻滅を感じているのかもしれません。子ども達は大人によって大人になるのですから。今、子ども達、若者達が大切にされていますか。子どもを大切にしない社会に未来はないと思うのですが。

 私事ですが、三月末で教員生活に幕が下ります。今度は外から子ども達が大切にされる世の中をつくるために一肌脱がなくてはと思っているこのごろです。それが、私に教師を続けるエネルギーをくれた沢山の子ども達へのお返しだと思うからです。

                        『すぎなみ文化通信』・2000年4月号より