***すぎなみ・今昔物語***
【1】
 
   『杉並の思い出・序章
           青梅街道』

                       
飯野 紀雄 (新潟県在住)
 豪雪の地、新潟県松之山で、これを書き始めます。73年間暮らした杉並の姿は、遠く離れた今も鮮明です。

 阿佐ケ谷で生まれ、まもなく原宿に移り、四歳までをそこで過ごし、再度杉並に戻った所が、豊多摩郡井荻町、今の上荻二丁目でした。

 八丁通りと呼ばれた道が近くを通っていました。
 これは青梅街道の一部で、この青梅街道の変わりようは驚くばかりです。道の北側には、家々の前を小川が流れ、米をとぎ、野菜その他、なんでも洗う流れだったそうです。道は現在の半分もなく、荷馬車が行き交い、その馬糞がどこにも転がっている道でした。馬に必要な蹄鉄屋さんもあり、時折、トラックが通る以外は、リヤカーが運搬の担い手で、これで何でも運んだものです。

 大きな竹篭を乗せた車をよく見受けたものです。竹篭の中には、太った大豚が入れられ、屠殺場へ送られるのでしょう、それは、田無の方に向かって行きました。

 ユーモラスな光景。でも、子ども心にも、あわれを感じさせるものでした。かわいそうな豚。

 沿道には空き地もあり、サーカス小屋や、見せ物小屋が時折建って、子どもの心を惹き付けつけました。「大蛇と闘う大海龍」これはどうしても見たい。叔父にせがんで連れていってもらった小屋の中には、木製の水槽の中に、一匹のワニがいるだけでした。

 店々は戸をとざし、裸電球の街燈のちらつく夜はわびしく、小箱のようなショーウィンドに五色のカクテルを飾ったカフェのあかりが一層わびしさを加えていました。

 今は見る機会も無くなった店々も思いだされます。炭火の上に、畳一畳程の、大きなふるいを上から吊り、それを前後にゆすり、切った飴を転がしてビー玉の様な飴玉をつくっていた店。道のかたわらに、焼く前のせんべいを一面に日干しにしていた店。材料の木片をパゴタの様に積み上げ、小アンコールワットを作りあげていた下駄屋さん。店の横に竹薮のある竹篭屋さん。それらは、なつかしくも記憶の中だけの存在になってしまいました。
(いいのとしお・画家)

 『すぎなみ文化通信』・2002年1月号より  

【2】西荻窪