高井戸第四小の前にあった文房具のうさぎ屋さん。ノートや、なわとびなんか買った。その通り沿い駅の方に近くあった新川商店。食料品とちょっとした雑貨やさんで、向かいの天狗湯からあがってアイスや飲み物を買えるし、駄菓子もあった。初めてチーズかまぼこを買ってチーズをほじって(何だかよくわからず)苦労して食べたっけ。おじさんもおばさんもやさしくて、迷惑をかけただろうに、かわいがってもらった。
私の家は、新川さんのはす向かい。天狗湯は就職して家を出るまで通ったお風呂屋。(前は吉野湯といった)今もけっこう遠くから通っている人もいるようだ。世の中の事、人生の勉強(女の一生?)いろいろさせてもらったと思う。「ワ〜ラにぃまみれてよぉ〜」と、三橋美智也の歌なんかがかかっていて。今はなきばあちゃんの曲がった背中とともに思い出す。
祖母は戦争が終わるくらいまで、ここで駄菓子屋をしていたそうだ。背中が曲がったのは、ビー玉やべーゴマなどの重たい荷物を仕入れたためだと教えてくれたことがある。その頃祖父は病気で看護しながら商売をしていたそうだ。西荻に空襲があったときの話も聞いた。その重い荷物を背負って祖母は逃げまどったという。
近所には四つ風呂屋があった。それくらい銭湯は身近だった。今二つはマンションになっている。残っている二つは、それぞれがんばっていると思う。
四歳のとき父が事故でなくなり、父方の祖母が住むこの西荻に、母、兄と三人で引っ越してきた。ちょうど東京オリンピックの頃だった。引っ越してきたばかりの時、兄と迷子になったことがある。帰り道がわかるようチョークで印をつけていたのに。とっても近い所だったので、今でも兄妹共通の、思い出すとおかしくなる思い出だ。小学生三・四年の時には友達と二人でマンホールがどこまで流れていくのか、神明通りをワクワクしながらずっと歩いたこともある。
街はいつも冒険に満ちていた。そして誰かがいつも見守ってくれていたように思う。いつかこの家を、街を離れていくのかと思うと、あこがれと悲しさを同時に感じた。もう思い出の中にしかない、けれどいつも暖かい気持ちになって懐かしい人に会える故郷、西荻。その中にはいつも、「ちいちゃかった私」もいる。
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