***すぎなみ・今昔物語***
【8】

『天沼と井草』(後編)
                    
 木村 みさこ(天沼在住)

 さて、家の前のチマチマした遊びとは違って、もっとダイナミックだったのは、刈入れの終わった井草の田んぼで遊びまわることでした。

 学校が終わり、カバンを家に放り込むと、空缶とバケツを持って井草の田んぼへ行きます。約束したわけでもないけど同級生や、その他沢山の子どもが遊びに来ていました。

 陽気の良い時は小川でどじょうやザリガニをとって泥んこになって遊び、帰るときはきれいな流れをみつけて脚を洗って帰って来ました。田んぼで走りまわっていて肥溜めに落ちた男の子も、何人もいました。

 その田んぼからは 西武新宿線の電車がまる見え。その向うに育英高校の建物とチャペルがよく見えていました。今の妙正寺池近辺は不発弾があるから近よるなと言われていて、子ども心にも気持ち悪かったです。その近辺は沼地でドロドロしていたので、足元が悪くって、それだけでも遊ぶ子はいませんでした。

 天沼中学校時代まで、その井草は田んぼや畑だったのに、中学を卒業して七~八年たった昭和四十年頃、天沼中を越え井草らしき所へ行き驚きました。

 妙正寺池は整地されきれいな公園になっていました。沓掛小学校はできているし、田んぼや畑がなくなって住宅ばかり。西武線も育英高校も見えなくなっていました。列島大改造があった頃だと思います。  


    
 (木村みさ子)      
 
『すぎなみ文化通信』・2002年3月号より  

【7】天沼・井草
前編

【9】かあさんの
今日の料理