座談会
『杉並の社会教育の
未来を語る』 (1)
* * * 座談会出席者 * * * * *
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・ 島田 修一先生(中央大学文学部教授・元中央大学杉並高校校長)
・ 高野ゆう子さん(「社会教育」杉並の会代表)
・ 玉置 泰史さん(高円寺若者雑学塾メンバー・元「ぎょうせい総合研究所」自治体コンサルタント)
・ 斎藤 尚久さん(杉並区社会教育スポーツ課 社会教育主事)
・ 芝 貞幸 (社会教育センター審議会委員・杉並文化問題懇談会代表)
・ 竹内 ゆかり(「すぎなみ文化通信」編集長・杉並区児童館職員)
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【竹内ゆかり】 『すぎなみ文化通信』は、150号を迎えました。ここ数年、急速に区の行政も変化してきて、社会教育も縮小されようとしている中で、きちんと今までのことをまとめ、これからのことを考えていきたいな、と思っています。
芝さんから「すぎなみ文化通信」の編集長を引き継いで三年半になります。仕事は杉並区の児童館職員で、地域と結びついてやっていこうと努力しているところです。
【島田修一】 私は、中央大学に勤めています。竹内さんはその卒業生で『すぎなみ文化通信』で頑張っているので、とても楽しみにしています。編集後記が生き生きとうれしがって書いているでしょう。ちょっと気の利いた風なことを書いてある雑誌というのは、いくら大衆誌といっても、なじみにくさを与えるけど、文化通信はとても楽しいですね。文化通信のことは、大学の授業でも毎年紹介しています。
【芝 貞幸】 文化通信を創刊する少し前に、杉並文化問題懇談会というのを創りました。その時の文化問題というのが、青年館の有料化の提案でした。これは杉並の文化にとっては大きな問題ではないかということを、今は亡き田中進さんが言い出しましてね。そのことを検討しようということでいろんな人が集まったのです。そして、杉並文化問題懇談会を発行主体にして、『すぎなみ文化通信』が生まれました。その後、杉並の施設の有料化と貸し館化という流れがずっとあって、今回、高円寺社会教育会館を廃止にするという計画が出てきて、これに玉置さんが意見を出してきた事が今日の座談会の発端です。
【高野ゆう子】 田中進さんは「月刊社会教育」を読む会をしていた方ですね。つぶされる前のボロボロの杉並公民館でやっていました。私は公民館をうろちょろしていましたから、公民館講座の後の文集をつくる時にご一緒したり、憲法集会のお芝居を一緒にしたり。それからお病気になってという程度しか記憶がないのですが、それでも今日、田中進さんのことが出てくるとは思わなかったです。
【玉置泰史】 今、31歳です。「ぎょうせい総合研究所」というシンクタンンクで七年間働いて、まちづくり全般についてかかわってきました。理由があって会社を辞めたのですが、自分の住んでいるところでも、まちづくりについてかかわっていこうかなと思ったのがきっかけです。それで、高円寺社会教育会館でここ数年まちづくりのイベントなどをやってきました。杉並区教育委員会の区民企画講座の「高円寺若者雑学塾」に所属していろいろな活動をしてきたのですが、平成14年度に閉館して駐輪場にしてしまうという話を聞いて、社会教育会館について興味を持ちまして、それと社会教育とは何かという、この二つですね。もともと社会教育会館の前身の青年館があった頃、青年館とは何ぞやと考えた人の中に田中進さんがいると、その田中進さんの歩もうとした先に自分がいるのではないかと考えるにいたりまして、いろいろな人に渡りをつけて話をしていたら、芝さんや、竹内さん、『すぎなみ文化通信』にたどり着きました。
【斉藤尚久】 教育委員会の社会教育スポーツ課の社会教育主事です。私が杉並区に採用された年に、一番初めに出会った職員が実は田中進さんでした。17年前、社会教育センターの建設協議会が立ち上がる前の年でしたね。そのときに社会教育主事とは、という説教を田中さんから受けた記憶が鮮明に残っています。それで社会教育センター勤務になり、一年半前までいました。そのあとに玉置さんに出会いました。自分の方では何ができているかという点ではいつも反省反省ということですが、今日はみなさんのお話をぜひ聞きたいと思っています。
杉並公民館時代
住民パワーに学ぶ
【島田】 公民館を存続させる会というのがありましたね。伊藤明美さんが新聞をつくって。毎号読んでいました。
【斉藤】 「歴史の大河は流れ続ける」という雑誌も全部で4冊出されました。実は、公民館に関する歴史の資料というのがすべて住民の方々の手にあるのです。公民館存続運動の一環として作られた掘り起こしがすべてだというふうに。教育委員会でもオリジナルの資料は何もない。公民館の話をしようとすると、区側は困るわけです。
そもそも歴史を言うと、1953年、杉並公民館ができて、安井郁館長の実践が始まるわけです。ちょうどそのときの原水爆署名運動が結びついて、杉並の公民館がその事務局となるわけですね。公民館運営審議会ができるのはその三年後くらいなのです。1963年くらいまでは安井さんのキャラクター、人脈、考え方で公民館講座がすすめられていたのですが、退いたあとも名誉館長みたいな形で、10年ほど関わっていました。
そのあとは、いわゆる安定期が十年ほど続きます。職員が手探りで事業を始めるのですが、要するにマンネリ化してしまうのです。映画会とコンサートとパターンを繰り返してしまって、その中で、公民館そのものの事業が下降線を描くようになった。
その後に高野さんが今話した、講座の一部を住民の方でやってみたらどうですか、ということから、公民館講座というのが始まった。職員ではなくて住民がすべて、一から十まで計画して、実施されていたのです。
公民館がすばらしかった、という評価は行政の中にはないんですよ。原水爆署名運動に結びついたときには、行政と議会と住民と結託したと言われますが、だからこそ、そのあとの流れの中で、厳しい評価を受けてしまうんです。それがいわゆる、自治法改正で杉並区が持った最初の「長期計画」で、公民館を廃止して、社会教育センターをつくると。社会教育センターは公民館の発展的解消という行政用語を使っていましたけど、実は公民館を無くすための新しい施設づくりだったんです。
社会教育センターに
継承できたもの
できなかったもの
しかし、公民館講座で関わった住民の方たちが、粘り強く、いろんなことを訴えました。結果として何ができたかというと、建物そのものは変わったが、その中に公運審に準じるような社会教育センター審議会をつくるとか、講座の企画委員会方式を継承するとか、部分的なものについてはその思いがあって継承されたのです。実はその公民館講座の流れを継いだのが、この若者雑学塾なんですね。高野さんは社会教育センターができたときに区民企画講座に関わってもらった。社会教育センターにも審議会をつくり、その上に法律に基づく社会教育委員の会議をつくったのもそういう経緯があるからです。
しかし、社会教育センターというと、都市型文化施設という感覚でホールを使うようなイベントをしきるようなものが、かなり事業として行わなければならない、つまり社会教育が充実したと当時は言っていましたが、鑑賞事業は増えているのですが、じっくり時間をかけてみんなで話し合うようなものは、社会教育センターになってからは、あまり重視されなかったのです。
【高野】 公民館時代は、公民館企画講座というのがありまして、まったく住民で、自分たちで話し合って組み立てていたんです。今年度は、子どもの問題を中心にやろうとか、高齢者の問題をはさもうとか、自由民権一〇〇年の時はその特集にしようとか。運営委員の人数は十〜二十人。企画して、日程を組んで、講師をお願いするとか、領収書をもらって、それを本庁に持っていく。そういうことを全部やっていました。
【島田】 住民が、職員の役割を果たしていたわけですね。公のお金を扱うことまで任せていたわけだけど、任せる住民を、お役所が選んだのか、あるいは住民自身が企画委員をかってでて、やったのですか。
【高野】 テストもくじもあるわけではないんです。やりたい人がやるということです。
【島田】 そういう意味では行政は住民を信頼していたわけですよね。ほかの市町村ではちょっと考えられません。
【玉置】 僕が関わってきた若者雑学塾は完全公募で、予算の遣いかたについてもほとんどメンバーが持っていました。
【斉藤】 多分、高野さんの時と玉置さんの時の大きな違いは、そこに職員が一緒にいるか、いないかです。公民館講座の時は、そこの公民館に集まってくる住民が企画委員なんですよ。つまり利用者なんですね。そして、年度を越えて継続しているんです。
【高野】 企画の過程において公民館にいる職員はまったく事務だけで、ほかの部屋で知らん顔、私たちだけで毎週二時間みっちり企画会議をするわけです。
【島田】 企画に参加して講座を組み立てたい、と思う人は誰でも入れたわけですか。
【高野】 そうです。
「有料化」そして
「貸し館化」とは?
【竹内】 ところで、社会教育会館の貸し館化の流れというのはどういう経緯なのですか。
【斉藤】 社会教育センターをつくった時に、青年館の三館は単独館だったわけですが、公民館が無くなって社会教育センターに変わったとたんに青年館も社会教育会館という看板に変えたわけです。それまで青年館は無料、公民館は有料だったんですが、社会教育会館になったときに、有料に飲み込まれた。その時は事業が減るということはなかったのですが、三年後に非常勤化。いわゆる行政改革です。
【芝】 私が、社会教育センター審議会の委員になったとき、「高円寺社会教育会館が、高円寺会館のようになるのは反対です」と言ったのです。私は高円寺社会教育会館のあいあい祭に関わって、職員がかかわってくれるのはとてもいいことだと見ていたものですから、それが非常勤職員になり、やがて、イベントにもかかわらなくなり、やがて貸し館だけの機能になるのは賛成できなかったのです。
文化通信(1991年2月号)に掲載したこの要望書は社会教育杉並の会として、高野さんの名前で出ていますね。
【高野】 公民館がなくなって社会教育センターになるというときに公民館講座をやってきた人、それから社会教育に関心のある人、消費者運動や高齢者運動をやってきた人たちも一緒に70人くらい集まって、「社会教育杉並の会」をつくりました。その目的は公民館が無くなっちゃうことは残念なんだけど、新しい社会教育センターで公民館の法に法ったものを持ち込んでいきたいと思ったわけです。
社会教育法には、公民館はこれだけのことをやりなさいと、法律に明記されているわけですが、「社会教育センター」とカタカナにすると、それがなくなる、名前を変えるということはそういうことだと。そして、やっていった途中で、今度は生涯学習振興法ができてきたんですよね。そのときに、これはまったく教育を金で売り買いする様なものだいうことで、私たちは世の中に訴えようとした、その時の要望書だと思います。国が社会教育そのものについての考え方を変えていこう、としたわけですから。
【竹内】 その法律ができて、全国的に公民館の事業が影響された、ということはあるのですか。
【島田】 それは大いにあります。1990年の時には私も衆議院の参考人陳述をしましたが、国が都道府県ごとに、一方では民間の財団を拠点にして生涯学習の体系を整えてしまうわけだから、住民が参加して地域ごとに個性的につくってきた、従来の公民館による社会教育推進の体制というのは崩されていきました。
杉並の社会教育はどこへ・・・?
【斎藤】 社会教育センターができたときに、本庁の業務をほとんどセンターに持ってきて仕事が大きく増えたのですが、ここ数年、たとえば女性の問題については男女平等推進センターをつくって、旧女性学級の事業はそちらに持っていく、青少年教育は児童青少年センターへ、文化事業は文化交流協会へ。あとPTAは本庁へ持っていくというように、一度集めたものをまた分散させているのです。
【芝】 それで残ったのは生涯学習部門というわけだけど、一方民間のカルチャーセンターが増えたので、そのへんをどう考えたらいいか、それに対応する審議会そのものをそうしたらいいか、という議論を審議会でしているという状況があります。
【島田】 そうすると、新しいイメージができているというより、第三セクター的なものをつくってはそこに移すということで、本来責任を持つべきものを、行政の本来的な責任をとらずに、まかせるということでスリム化したけれど、残った生涯学習事業をやるには民間のカルチャーセンターとの競合があって独自性をどう打ち出すかが、大変だと。
【芝】 それと、社会教育会館をなくしてしまおうという計画が出てきたことですね。
【斎藤】芝さんが感じとられた変化というのは、事象だけ言うと、ひとつは区長選挙があったということ。山田さんが区長になって、一番大きく変わったのは、行政改革計画で今まで言っていなかったことまで、急に言い始めた。社会教育行政の側からいうと、一気に窮地に追い込まれている様な状況です。
【玉置】 実際、僕思うんですが、社会教育について、こういうふうにやった方がいいということを考えている人は、全国ほとんどいないと思うんです。つまり、世の中というものが、どんどん貸し館化していっているから、それに連動した形で公民館も貸し館化していく。それに対して区の方というか行政の方は生涯学習というふうなプランまでしか出せてない。
住民サイドの方はどうかというと、社会教育会館がなくなるんですという話を、僕は百人を超える人に話しているんですが、「そうなんですか」という所で終わる、要するに、怒っているのは僕だけなんですよね。社会教育会館を利用する人たちとか、僕が代表をやっていた高円寺若者雑学塾のメンバーでさえも、「なんでそんなに怒るの」と逆に不思議な顔をする、「無くなったら他の場所に行けばいいじゃん」というふうにして、誰もが社会教育会館だとか、社会教育をどうしようかと、考えていない。それで、山田区長さんの話が出たので言うのですが、山田区長さんは行政改革というビジョンを持っている。それが良いか悪いかは別にして、行政をどんどんスリム化していこうというビジョンを持っている。だから、誰もが流されている。でも、どうしてこんなにだれしもが社会教育会館がなくなることに対して、関心をもたないのか、非常に僕は不思議で仕方がない。
【竹内】 玉置さんが、高円寺社会教育会館にこだわっている理由は?
【玉置】 それは僕自身も何だかわからなかったんです。ずっと、今でもずっと考えています。それで、『すぎなみ文化通信』のバックナンバーを全部読んで、それで何で自分がそんなにひっかかるのかと考えたときに、それは全部、愛着というものだと思うんです。
【竹内】 杉並区のスマート計画によると、社会教育会館を廃館する理由は、利用が減ったからではなく、「区民会館と類似してきたため」だと書いてありますが。
【芝】 それは、ばかばかしい、というか、区が「貸し館化」を進めて類似するような方向にしてきておいて、それを理由として廃館しようとしているなんて。
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『すぎなみ文化通信』2001年9月号(No.151号)掲載
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