荻窪地域史講座2024開講中!

荻窪loverのみなさん、お集まりください。2023年度に引き続き、今年も荻窪の地域史深掘りを楽しみましょう。路地から路地へ、暗渠の蓋を踏み締め、荻窪の謎を解き明かして行きます。今年度は荻窪のまちをくまなく歩き回ります。

 1回だけの参加も歓迎です。

 

当初、半年の予定でしたが、後期(10月〜3月)も継続します。

途中参加も大歓迎です。(2024年10月13日)

 



2024413

1回荻窪地域史講座2024 

荻窪の旧道・高井戸道たかいどみちを歩く

主催:すぎなみ文化協会

 

1 高井戸道起点 大踏切

明治大正時代の地誌を記録編纂した『東京府豊多摩郡誌』(大正5年・1916)の「井荻村」の項に

高井戸道 青梅街道大字おおあざ下荻窪地内荻窪停車場の東方より起り、忍川橋を渡り、南進して高井戸村に入り、甲州街道にごうす、延長一里あまり

と記されている。

 

2 旧高井戸道起点

 

3 旧高井戸道の名残り

 

4 成田道なりたみち分岐

 

5 天理教会

 

6 荻窪高校周辺

 

7 不動堂旧在地

『新編武蔵風土記稿』(1830年完成)「多磨郡 野方領 下荻窪村」の項に

「不動堂 除地じょち168坪 村の東北のかたにあり 不動と云う文字を梵字ぼんじもてえりし石標あり 今は堂を廃せり」とある。

 

8 忍川橋旧在地

 

9 仲丸金物店

 

 

10  川南マーケット

 

11  春日道分岐

 

12  交番、郵便局、火の見櫓

近くに住んでいた与謝野晶子が

半鐘の立つたかさにて雲雀ひばり鳴く荻窪町のうらを歩めば

と歌った。(昭和8年『冬柏』)

 

13  不動堂

大正末ごろの区画整理の際、川北から移された石標を安置。移転当初は簡素な屋根が架けられただけであったが、昭和52年(1977)信者から浄財を募り現在のお堂が再建された。

 

14  中道寺

 

 

15  区画整理跡と界堀さかいほり

界堀は江戸時代、下荻窪村と田端村の境界線上を流れていた水路。

 

16  高井戸東4丁目 高井戸境 新田街道 流路変更

 

 


2024年5月11

第2回荻窪地域史講座2024

荻窪の水系・善福寺川と天水田んぼを歩く

主催:すぎなみ文化協会

 

1 桶屋おけや田んぼ

 

2 ガード下の橋場

 

3 池

 

 

4 穴稲荷

 

 

5 善福寺川の水

 

 

 

6 生痕せいこん化石

 

7 岩井さんの森

 

8 さかい

 

9 三軒屋の

 

10 桃2小の白旗桜

 

桃2小爆撃跡

 

11  忍川橋旧在地

 

12  春日かすが

 

13  田端の堰

 

14  荻外荘てきがいそうの池

 

15  山田別荘

 

16  角川庭園

 

17  天水田んぼ

 

18  馬頭観音

 

19  天水池

天水池B

天水池A

 


第3回荻窪地域史講座 2024年6月8日

まち歩き 荻窪駅周辺の発展の跡をたどる

主催 すぎなみ文化協会

1 すずらん通り商店会の運動

 

2 いづみ工芸店

 

 

3 平野哲五郎別荘跡 荻窪税務署

 

4 渡辺錠太郎邸跡 226事件現場

 

5 光明院南遺跡F地点

 

6 光明院

 

7 白山神社

 

8 鈴木信太郎(画家)棟方志功(版画家)旧宅跡

 

9 追分(千川用水分水分水口)

 

 

10  観音おんだし

 

 

11  荻窪駅北口

 

12  大踏切

 

13  都築脚気研究所

 

14  陸橋

 

15  中田村右衛門旧宅

中田村右衛門は代々、江戸時代の下荻窪村の名主を務めた。敷地内には武家長屋門、明治天皇御小休所、庚申塚が残る。

 

16  荻窪電話局

 

17  中野銀行 郵便局 西武電車(のちの都電)荻窪停留場 公衆便所


第4回荻窪地域史講座 2024年7月13

まち歩き 荻窪駅北口文化人の跡を巡る

主催 すぎなみ文化協会

1 鈴木信太郎すずきしんたろう  18951989(明治28年〜平成元年)

洋画家。昭和5年、八王子から荻窪の白山神社の近くに移り住んだ。西荻窪こけし屋のフランス人形の包装紙が今も親しまれている。

1 棟方志功むなかたしこう 19031975(明治36年〜昭和50年)

ベネチア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞するなどし「世界のムナカタ」と呼ばれた。荻窪には昭和26年、鈴木信太郎の転居後のアトリエに富山県から移り住んだ

2 津田青楓つだせいふう 18801978(明治13年〜昭和53年)

洋画家・日本画家。昭和5年、京都から上京し、天沼にあった前田寛治没後のアトリエに津田青楓画塾を開いた。

2 太宰治だざいおさむ 19091948明治42年~昭和23年)小説家。井伏鱒二を師と仰ぎ、昭和8年から13年(満23歳から29歳)にかけて天沼周辺の5ヶ所に移り住んだ。

3 伊馬春部いまはるべ 19081984(明治41年~昭和59年)

劇作家。新宿にあった軽演劇場ムーラン・ルージュで脚本を担当し人気を博した。昭和7年から16年まで天沼に住んだ。

4 徳川夢声とくがわむせい 18941971(明治27年〜昭和46年)

 漫談家、作家、俳優などとして幅広く活躍した。荻窪駅近くに昭和2年に移り住み、終生暮らした。

5 河盛好蔵かわもりよしぞう 19022000(明治35年~平成12年)

 フランス文学者・評論家。フランス文化論、人生論、随筆など幅広い分野で活躍。文化勲章受賞。昭和9年から清水に、昭和15年から天沼に住む。

6 上林暁かんばやしあかつき 19021980(明治35年~昭和55年)

 戦後を代表する私小説作家。戦後脳溢血で右手両足が不自由となるが、妹の献身的な介護で創作を続けた。天沼に昭和11年から住んだ。

7 鳴海要吉なるみようきち 18831959(明治16年~昭和34年)

口語歌運動の先駆者の一人として知られ、口語歌誌『新緑』を主宰した。昭和24年天沼に移り住み自宅を「和日庵わびあん」と名付け、晩年の10年間を過ごした。

8 角川源義かどかわげんよし 19171975(大正6年〜昭和50年)

 出版人・俳人・国文学研究者。戦後角川書店を創立し、角川文庫を創刊した。結婚後天沼に住み、昭和30年、西田町の新居(現・角川庭園)に移った。

9 橋本明治はしもとめいじ 19041991(明治37年〜平成3年)

日本画家。新文展で特選を受け戦後は日展で活躍した。肉太の線描による独特の「橋本様式」を確立し、昭和49年、文化勲章。天沼に昭和29年より住んだ。

10 藤原審爾ふじわらしんじ 19211984(大正10年~昭和59年)

小説家。大衆文学の分野に進み、「罪な女」などで直木賞を受賞した。昭和37年から天沼に住んだ。

11  草川信くさかわしん 18931948(明治26年〜昭和23年)

作曲家。童話・童謡の雑誌『赤い鳥』に次々と作品を発表した。代表曲は「夕焼け小焼け」「ゆりかごの歌」などがある。天沼に昭和6年から住んだ。

12  前田寛治まえたかんじ  18961930(明治29年〜昭和5年)

洋画家。昭和3年、天沼に「前田写実研究所」を設立した。天沼に住んでわずか1年で病を得、東京帝大付属病院に入院し翌年亡くなった。

13  木山捷平きやましょうへい 19041968(明治37年〜昭和43年)

小説家。代表作は「耳学問」「大陸の細道」など。昭和27年に5ヶ月間ほど、天沼の荻窪荘(現・都営天沼2丁目アパート)に住んだ。

14  三好達治みよしたつじ 19001964(明治33年〜昭和39年)

昭和を代表する抒情詩人。昭和5年に第1創作詩集『測量船』を発表。昭和4年、天沼のジャンヌ・滋野夫人方に止宿し、近くの井伏鱒二と知り合う。

15  太宰治 天沼三丁目の家(天沼で最初の家)

16  太宰治 碧雲荘(天沼4番目の家)

17  石山太柏いしやまたいはく 18931961(明治26〜昭和36

日本画家。大正7年ごろから天沼に居住し、天沼、荻窪、井草一帯に残る武蔵野風景を精力的に描いた。画業のかたわら茶道にも造詣を深め、日本茶道院を主催した。

18  石川淳いしかわじゅん 18991987(明治32年〜昭和62年)

小説家、文芸評論家、翻訳家。絶対自由の精神が創作上の一貫した方法で、無頼派の作家とも呼ばれた。代表作に『紫苑物語』『至福千年』『狂風記』など。

19  宮田重雄みやたしげお 19001971(明治33年〜昭和46年)

洋画家戦後、ラジオ番組「二十の扉」の回答者として人気を博した。また、画家の戦争責任に関して発言した。

20  片山敏彦かたやまとしひこ 18981961(明治31年〜昭和36年)

詩人、評論家、独仏文学者、画家。『ロマン・ロラン全集』を監修、翻訳し、ゲーテ、ハイネ、リルケ、ヘッセ等を翻訳した。清水町に1925年から住んだ。

21  大山康晴おおやまやすはる 19231992 (大正12年〜平成4年)

 将棋棋士。十五世名人、永世十段、永世王位、永世棋聖、永世王将の五つの永世称号を持つ。文化功労者。昭和30年から清水(当時は天沼1丁目)に住んだ。

22  井伏鱒二いぶせますじ 18981993(明治31年~平成5年)

小説家。原爆を扱った「黒い雨」は世間に衝撃を与えた。昭和2年、清水町に居を構え、以後60有余年を過ごし数多くの傑作を生んだ。文化勲章受章。

23  太宰治 鎌瀧方(天沼で5番目の家)


第5回荻窪地域史講座 2024年8月10

近代荻窪史 レジュメ

主催 すぎなみ文化協会

 

1 荻窪駅開設

荻窪駅、開業までの経緯

 

明治17年案

・明治18年案

・明治19年(?)案

・明治21年現行ルート

 

 

中央線1直線の謎

通説

 

通説の否定

 

理由 路線の性格が変わった

 

カーブと橋で荻窪の位置が決まった

荻窪駅の誕生

加藤佐五左右衛門伝

 

当時の周辺の様子

 

開設当初の荻窪駅

 

北口と南口

 

2 別荘地時代

荻窪駅の発展

 

斜面林

斜面林+甲武鉄道=

 

別荘地と住宅地の違い

 

荻窪の別荘地分布図(推定)

 

岩井禎三

平野哲五郎

毛利高範

床次竹二郎

飯沼金太郎

入澤達吉

山田直矢

二宮健

甲野棐

平賀精次郎

市川純一

菊野七郎

中島力蔵

 

別荘地時代の終わり=財産税 別荘地の現在

 


第6回 荻窪地域史講座 2024年9月14日(土)

荻窪の文化人・政治家・軍人・実業家の旧居跡を辿る(南口)

 

執行正俊(しぎょう まさとし) 19081989M41H)

菊野七郎

安井藤治(やすい とうじ) 18851970M18S45

石井桃子(いしい・ももこ 19072008M40年〜H20

市川純一邸跡

前川千帆(まえかわ せんぱん) 18881960M21S35

大田黒重五郎(おおたぐろ・じゅうごろう)  18661944(慶応2年〜S19)

太田黒元雄 18931979M26S54

甲野勇(こうの いさむ)19011967M34S42)

渡邊義介(わたなべ・ぎすけ) 18881956M21S31

小茂田青樹(おもだ せいじゅ) 18911933 M24S8)

宮田輝(みやた てる) 19211990T10H2)

入澤達吉(いりさわ たつきち) 18651938(元治元年〜S13

お不動やま

芝葛盛(しば かずもり) 18801955M13S30

阿川弘之(あがわ・ひろゆき)  19202015 (T9〜H27)

奥平俊蔵(おくだいら しゅんぞう) 18751953M8S28)

恩地孝四郎(おんち こうしろう) 18911955M24S30

登張竹風(とばり ちくふう)  18731955M6〜S30)

秋山幹(あきやま もと)18901972M23S47

神津港人(こうづ こうじん)18891978M22S53)(荻窪在住19241978

田中青坪(たなか せいひょう) 19031994M36H6)

床次竹二郎(とこなみ・たけじろう) 18661935(慶応2〜S10

樺太庁長官、内務、鉄道、逓信の各大臣を歴任した政治家。政友本党総裁。大正の終わり頃、荻窪に別荘を構えた。

飯沼金太郎(いいぬま・きんたろう) 18971964M30S39)

田河水泡(たがわ すいほう)18991989M32H元)

長谷川町子(はせがわまちこ) 19201992T9〜H4)

近藤富枝(こんどう とみえ)  19222016T11H28

丹波哲郎(たんば てつろう) 19222006T11H18

田村泰次郎(たむら たいじろう)  19111983M44S58

阿部知二(あべ ともじ)19031973M36S48

片岡鉄兵(かたおか てっぺい) 18941944M27S19

与謝野鉄幹(よさのてっかん) 18731935M6S10

与謝野晶子(よさの あきこ) 18781942M11S17

戸川秋骨(とがわ しゅうこつ) 18701939M3S14

遠藤実(えんどう みのる) 19322008S7〜H20

菅原文太(すがわら ぶんた) 19332014S8〜H26

中田羽後(なかだ うご) 18961974M29S49

岩村通世(いわむら みちよ) 18831965M16S40

須磨弥吉郎(すま やきちろう)18921970M25S45

尾崎喜八(おざき きはち) 18921974M25S49

前田夕暮(まえだ ゆうぐれ) 18831951M16S26

橋田邦彦(はしだ くにひこ) 18821945明治15年~昭和20年(M15S20

清水幾太郎(しみず いくたろう) 19071988 (M40S63) 

吉井淳二(よしい じゅんじ) 19042004M37H16

 



8回荻窪地域史講座 2024119() 主催:すぎなみ文化協会

善福寺川の水源地と、区画整理の記念碑を訪ねる

 

1 伊勢橋(伊勢殿橋)

 

東京都清流復活事業

 

無名社 

 

 竹下橋 

 

 

2 善福寺池

 

遅野井湧水の碑

かつてここに湧水があり、善福寺川水源地とされている。

市杵島いちきしま神社

建久8年(1197)江ノ島弁財天を勧請したと伝えられる。近隣の信仰を集め、旱魃かんばつの際は雨乞い祈願が催された。明治時代に祭神が改められた。

内田秀五郎像

1953年内田秀五郎の喜寿(77歳)を祝って喜寿記念会が建立。

 

遅野井川親水施設

平成30年(2018)開設。整備にあたっては、草地広場や親水テラス等の親水機能を持たせた。ここを流れる水はポンプアップされた地下水である。

トロールの森2024

国際野外アート展(202411.311.23 

 

3 東京都水道局杉並浄水所

現在も稼働中。3つの井戸(深さ10m15m17m)から取水し、塩素処理後一般家庭に給水されている。

杉並の隠れた名建築 杉並浄水所(昭和7(1932)年頃竣工)

 

4 美濃山みのやま

 

 

5 井草八幡宮

 

6 井荻町土地区画整理碑


第9回荻窪地域史講座 

大田黒公園とその周辺

20241214日(土) 主催 すぎなみ文化協会

 

 オーロラの碑

 

 

 中央図書館

ガンジー像

読書の森公園

水路跡

菊野氏邸跡地

・堀口 不詳(のち、敷地の一部に石井桃子邸)

・平賀精次郎 没1932  元・日本医大病院長(のち、敷地の一部に市川純一邸)

・市川純一  明治八年九月 (1875) 三井物産(株)調査課長

・二宮健 三井信託社員(のち、大田黒邸)

 

3 執行正敏(しぎょう まさとし)19081989

 

 西郊ロッヂング 

昭和5年(1930)に下宿屋として開業。当初の外観は陸屋根(ろくやね=平らな屋根)を持つ洋館、内部は全室洋間で鍵付きドア、木の床、ベッド、暖炉、室内電話を備えていた。昭和13年、西側に新館を増築し、屋上に昭和モダンを象徴するドーム屋根をのせた。賄(まかな)い付き高級下宿屋で地方の名士の子息、軍関係技師、満鉄勤務の会社員などの富裕層が利用した。戦時中は軍に接収され、中田村右衛門邸の一角にあった軍需工場(日本無線)の徴用工のための宿泊施設となった。戦後、本館部分は全面的に改装され和風旅館として再出発。平成21年(2009)国の登録有形文化財に指定された。

 

5 安井藤治 18851970

陸軍中将。2・26事件時の戒厳司令部参謀長。戦争末期、鈴木貫太郎内閣の国務大臣。

 

6 かつら文庫

 

7 前川千帆旧居跡

 

 

8 大田黒公園

大田黒元雄氏の屋敷跡を杉並区が日本庭園として整備し、昭和56年(1981)に開園した。

大田黒重五郎18661944

荻窪の屋敷地

大田黒公園

記念館

 

 


 角川庭園

角川源義(げんよし)が昭和30年から住んだ邸宅を2005年(H17)、遺族が区に寄贈し、2009年(H21)開園した。

角川源義(19171975):出版人、俳人、国文学研究者。国学院大学に進学、折口信夫(おりくちしのぶ)の指導を受ける。昭和20年角川書店を創業し、『角川文庫』(昭和24年)、『昭和文学全集』(昭和27年)などを刊行し、大出版社の基礎を築いた。

 

2 シャレール荻窪(旧荻窪団地)

戦後の住宅難に対処するため、昭和33年(1958)、日本住宅公団が建設した集合住宅。

 

3 山田直矢 (18601936

日本の鉱山学者、実業家。1886年旧東京大学を卒業し、ドイツへ留学。1894年に帝国大学工科教授に就任。1897年三井鉱山に入社。三池炭鉱を担当し、1911年に常務取締役となる。1911年荻窪の入澤邸東隣に1万坪を超える土地を購入。

 

 荻外荘(てきがいそう)

入澤達吉の「楓荻荘」時代: 明治41年入澤達吉は荻窪に数千坪の土地を買い求め、小屋を建て別荘として利用した。昭和2年、入澤達吉は義弟の建築家・伊東忠太の設計による壮麗な和風住宅を建て、別邸(本邸は小石川区)としてここに暮らした。

入澤達吉(18651938)

近衞文麿(このえふみまろ18911945

吉田茂18781967

 

4 橋本政次郎18961939

 

5 お不動山

荻外荘西側の小高い松林は江戸時代に不動堂があったことから「お不動山」と呼ばれた。

 

芝葛盛(しば かずもり) (18801955

阿川弘之(あがわ・ひろゆき) ( 19202015 )

小説家、評論家。日米開戦のニュースを荻外荘の向かいにあった芝葛盛の下宿で聞いて「涙がぼろぼろ流れて」きたという。その後徴兵検査を杉並区役所で受け、海軍に入った。

 奥平俊蔵(おくだいら しゅんぞう) (18751953)陸軍中将。

 恩地孝四郎(おんち こうしろう) (18911955

 登張竹風(とばり ちくふう)  (18731955)

 神津港人(こうづ こうじん) (18891978

 田中青坪(たなか せいひょう) (19031994日本画家。

 床次竹二郎(とこなみ・たけじろう) (18661935樺太庁長官、内務、鉄道、逓信の各大臣を歴任した政治家。政友本党総裁。大正の終わり頃、荻窪に別荘を構えた。

 飯沼金太郎(いいぬま・きんたろう) (18971964)

田河水泡(たがわ すいほう) (18991989

長谷川町子(はせがわまちこ) (19201992

 

ハチクの森

 近藤富枝(こんどう とみえ)  (19222016

 NHKアパート


11回 荻窪地域史講座 202528日 主催 すぎなみ文化協会 新倉毅

区画整理 2・26

 

区画整理

1 全体像

 

2 井萩町土地区画整理事業の流れ

 

3 上荻窪の脱退、復帰

 

4 全8工区

 

5 道路    都市計画道路

        一般道路

 

6 街区

 

7 善福寺川の改修

 

8 水路

 

9 区画整理の痕跡 

   芦原 荻窪高校の横筋 桃2小校庭 薪屋の堰 屈曲した成田道

 

10 恩地さんの坂 昭和10年の洋館

 

11  第1工区の特徴

 

12  魔のカーブ=荻外荘通りの事故多発地点 

 

13  荻窪公園 

 

14  成功の条件

 

15  ジェイコブスの4大原則

 

 

荻窪の2・26事件

 

事件の概要

 

襲撃の様子

 

斎藤実内相邸を襲撃後、部隊は荻窪の渡辺錠太郎邸に向かった

 

渡辺和子手記 

 

安井優(ゆたか)少尉の証言(『二・二六事件の青年将校安田優と兄薫の遺稿』)

 

高橋少尉の証言(『図説2・26事件』)

 

荻窪に残る2・26事件の記憶

1 安田優の姉が住んでいた 

2 銃撃の音が聞こえた

3 ピストルの銃声が聞こえた

4 襲撃隊は道に迷った

5 荻窪に外出禁止令

6 誤襲撃か?

 

井伏鱒二の述懐

 


1 石橋亭 「観音道」が千川上水分水を渡る地点に架かる「石ノ橋」旧在地

 

2 前川文夫(まえかわ ふみお)

(明治41年〜昭和59年)19081984 

東京大学教授。高等植物の系統分類学が専門。日本で最初に植えられたメタセコイアの切り株が残る。

 

3 井伏鱒二旧宅

井伏鱒二  いぶせますじ 明治31年~平成5年(18981993

小説家。早稲田大学中退後、同人誌に発表した「山椒魚」が処女作と言われている。「ジョン万次郎漂流記」で直木賞。原爆を扱った「黒い雨」は世間に衝撃を与えた。昭和2年、清水町に居を構え、以後60有余年を過ごし数多くの傑作を生んだ。文化勲章受章。天沼・荻窪・阿佐ヶ谷界隈の文学者たちの中心的存在であり、自伝的長編「荻窪風土記」でこれらの文士たちとの交流を生き生きと描いている。

 

 大山康晴 おおやまやすはる 大正12年〜平成4年(19231992

将棋棋士。十五世名人、永世十段、永世王位、永世棋聖、永世王将の五つの永世称号を持つ。日本将棋連盟会長を務めた。文化功労者。

 

 片山敏彦(かたやま としひこ) 18981961(明治31年〜昭和36年)

詩人、評論家、独仏文学者、画家。東京帝国大学独文科在学中からロマンロランに深く傾倒し、卒業後高校、大学で教鞭をとるかたわら詩作と著述、翻訳、絵画制作の日々を送った。『ロマン・ロラン全集』を監修、翻訳し、ゲーテ、ハイネ、リルケ、ヘッセ等を翻訳した。1949年、『日本・ロマン・ロランの友の会』発足に伴い委員長となった。杉並区清水町に1925年から、疎開の時期を除き、終生住んだ。

 

4 清水町の町名由来の井戸

「町名の起こりの清水」(井口昭英『井草の昔』より)

 

5 千川上水分水

千川上水分水(六ヶ村用水・半兵衛堀ともいう)

下井草村分水口(清水口・沓掛用水取水口ともいう)

 

6 桶屋(北島家) 秋葉神社、常夜燈所在地

四面道:「観音道」と青梅街道の交差点

・4つの村に面する村境地点

・江戸時代の1里塚

・常夜燈の講中 刻名者

・(森田和好の記憶)光明院の縁日、観音道の地口行燈の思い出

 

7 用水路跡

下荻窪村分水口か?

 

8 渡辺錠太郎旧宅跡

 

9 桶屋たんぼ


参考までにこれまでのチラシです。



※お問合せ、受講申込みは村田(080-5644-2592 kurumimura@icloud.com)まで